【菅総裁への手紙②】空襲被害者の救済が今必要な理由

空襲被害者の救済が今必要な理由

  空襲被害者の救済については既に多くのことが語られ、菅総裁も経緯はご存知のことと思いますので、ここでは私なりに特に感じる点に絞り述べさせていただきます。

 1.政府が戦後処理を「終わった」ことにしても、被害者たちは納得していません

  国が起こした戦争に巻き込まれ、片方(軍人・軍属)は多額の補償があり、片方(民間人空襲被害者等)は何も国からもらうことができない。こんな状況では納得できない方が自然ではないでしょうか。

  政府は「戦後処理はもう終わった」としていますが、空襲等の被害当事者たちは全く納得していません。「国に雇用されていないから補償の対象にはならない」というのは、軍人・軍属への補償を優先したがために、それ以上の財政的負担を避けるために考え出された後付けの理屈なのではないでしょうか()。これでは独りよがりに過ぎず、当事者である民間人空襲被害者等を納得させるのは無理があります。国は真摯に自らの責任と向き合うべきです。

 現在超党派の空襲議連で検討されている「要綱案」は、心身に障がいなどを負った空襲被害者等に対し、一人50万円の特別給付金を支給するというものです。対象者は約4,500名と見積もられ、これは合計で225千万円に過ぎません。軍人・軍属には60兆円以上を払いながら、同じ戦争で傷付いた民間人空襲被害者等にはその250分の1225千万円も出せないというのは、なかなか理解しがたいことです。

 限られた財源ゆえに民間人の戦争犠牲には向き合えなかったというのであれば、なぜ軍人・軍属への補償を減らし、民間人への補償に回さなかったのでしょうか。欧州諸国は軍人と民間人を差別することなく補償しています。日本も同様の政策を取っていれば、既に数十兆円が民間人の補償にまわっていることとなり、戦後76年が経ってもこのような問題で騒がれることはなかったでしょう。

 戦後軍人・軍属に対する補償が手厚くなった経緯を見ると、補償や軍人恩給の復活を求める運動体の政治力の大きさと、当時の厚生省が旧軍出身者の影響が大きかったことが読み取れます。軍人・軍属と民間人空襲被害者等に対する補償に圧倒的な差がある理由は、純粋に法的理由からではなく、政治力の差がもたらした結果ではないでしょうか。

  

2.「パンドラの箱」を恐れていては、根本解決は永遠にやってきません

 ひとたび民間人空襲被害者へ補償を行うと、補償対象が拡大したり、それ以外の補償問題も再燃するおそれがある。そのため救済法を認めるわけにはいかない。だから「パンドラの箱を開けるな」。――これは補償に反対する官僚や一部の与党幹部の意見としてたびたび聞かれることです。

 戦後76年が経った今、その「おそれ」がどの程度現実のものになるのかは不明です。被害当事者はほとんどの方が既に80歳を超え、大きな運動が巻き起こる可能性がそれほど高いとは言えないかもしれません。

 しかし、どのような主張であったとしても、それが正当性を持つものであれば、逐次検討していくのが戦争を起こした国の努めではないでしょうか。不条理に苦しむ人々の心を永遠に押さえつけ続けることはできません。「パンドラの箱」を恐れ続け、無理やり封印しようとしても、いつかほころびが生まれ、必ず箱は開けられるでしょう。

 先の大戦では、戦線はアジア太平洋全域にわたり、全体で2000万人ともそれ以上ともいわれる犠牲者を生みました。「もう76年も経った」と考える向きは多いですが、被害規模からすると、「たった76年」なのです。

  

どんなに不都合なことであっても、過去の過ちは素直に認め、人に寄り添っていく。それがこの国をリードする自民党の取るべき姿勢ではないでしょうか。そのようにしてこそ、人々はこれからも自民党を支持し続けていくものだと思いますし、「誰一人取り残さない」SDGsの時代に世界から称賛される姿勢だと思います。

 一刻も早い空襲被害者の救済のため、菅総裁のリーダーシップを心よりお願い致します。

 

以上

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